82-4 跟歩の発生

形意拳と云えばあの独特の歩法、

跟歩が有名ですが 

何故 あのような歩法をするようになったのかは不明でした。

それでその理由を考えてみました。

形意拳は元々槍術から発達してきたものだそうです。

すると集団戦、

それも 戦場での槍の使用法ではなかったのかと思います。

槍で突いた後 そのままでは拙いと思うのです。

遠くから槍で突くと脚は大きく開いたままになります。

そのままでは次の動作がやりづらいですよね。

それで後脚を半歩前に引き寄せると

次の動作がやり易くなります。

如上のことから大きく動いた後は後脚を引き寄せて

動きやすいようにしておくのが良いでしょう。

形意拳をやるとき跟歩が甘くなって

困っていたのですがこれで解決しました。

なお動画はこのことの

(つまり刃物を振ってみて後脚を寄せるやり方)

の効果を確認してます。

跟歩のはじまりの始まり(発生)ですね。

     令和4年1月27日

 82-3 対打の準備

これまでに全く撲り合いをしたことがない人

(普通、そうなのですが)は

自分が撲られると思うだけで恐怖で身が竦むものです。

身體が固くなり動作も鈍くなるのです。

これを何とかしなければなりません。

この場合は目の前に出てきた拳に対応する稽古です。

そのために考え出されたのが組手です。

もっと丁寧な言い方をすると約束組手です。

約束組手は技の使い方の稽古と

一般には捉えられていますが 

初心者に於いては相手の攻撃に対して脅えない、

立ち竦まないようになるためのもので、

恐怖に慣れ、且つ 立ち向かえるようするのを

中心にするべきなのです

それは恐怖に怯える事なく

立ち向かえるようにするための稽古の第一歩なのです。

これが出来るようになると技が正確に

自由に使えるようになるのです。

相手の突き技に対して冷静、

正確に防禦技を使うのですが、

この時 手や肘 腕の形、位置、動きの軌跡を正確に準えるように

細心の注意をしながら稽古します。

ここが正確に出来るか否かで

その人の上達が決まると言ってもいいくらいです。

ここを雑にすることで技の崩れが始まるのです。

後での修正はほぼ不可能と言ってもいいくらいです。

そのために相手の攻撃を受け損なっても

怪我をしないように

間合いは通常より大きく摂ります。

恐怖に慣れてきたら徐々に正規の間合いに戻していき

相手の攻撃を受け払うようにします。

       令和4年1月17日

 82-2  準備をしておくという事

真珠湾攻撃を立案した

航空参謀の源田實中佐(當時)は

手記の中で航空機搭乗員の體調は

離陸から約1時間後くらいが最高で

以後疲労が溜まって行くし、

1時間未満だとまだ調子が出ないといっています。

だいたい、日米両軍とも基地(空母)から

1時間くらいの距離から攻撃を仕掛けています。

距離にして300kmから400kmくらいですか。

失敗したのはマリアナ沖海戦の時の日本海軍です。

アウトレンジ戦法といって

2時間くらいの距離から攻撃を仕掛けて

ボロ負けしてます。

米軍からはマリアナの七面鳥狩りと揶揄されてます。

我々が試合とか稽古を始める場合でも

やはりそのように考えて準備をしておくべきなのです。

朝起きて1時間未満だと まだ體が完全に目覚めておらず

本調子ではありません。

2時間以上前には起きておくべきですね。

食事も食後最低でも1時間、

出来れば2時間以上前に摂っておくべきですね。

あまり早く摂るとまた空腹になるし、

結構面倒なのです。

當然ですが前夜の夜更かしはとんでもないことです。

飲酒も軽くして控え気味にしておくといいですね。

これらのことが當り前に出来るようになるのには

相當年月がかかるものです。

   令和4年1月13

82-1 新年おめでとうございます

令和4年 寅年最初のブログです。

「武術を武術たらしめているもの」のブログの続きです。

空手やボクシングなどの格闘技の稽古と

最も異なっているものがこの「功」と言う概念です。

それも筋トレを含む「外功」と違って

意識や呼吸を練り上げる「内功」は

どうにも我々にとっては厄介です。

ここで要求れさるのは

感覚の鋭敏化、明確化です。

熱感や圧力感、鮮明感といったものが

重視されるわけですから。

ここのところがどうにも判りづらいのです。

體の中に意識を向けて 

その時の感覚を摑み取ると言うのが

そのトレーニングのポイントなのですから。

そのためには既存のトレーニングとは別の

新たなトレーニング體系が必要なのです。

これは殆ど初めから構築していかなければなりません。

これが難しい理由のひとつでもあるわけです。

         令和4年1月7日