81-32 続、アフガニスタン

前回の続きをちょっとします。

「義理」と「人情」と「メンツ」いう行動原理を大事にしてるのは

我が國のヤクザもそうですね。

何か揉め事があった場合の解決は手打ちで解決します。

「法の下の平等」は

「法」が公平に施行されている場合は問題ないのですが

そのためには我々よりも圧倒的に強い存在がないといけません。

「法」を犯した場合の制裁ですね。

この「制裁」がない場合は「法の下の平等」はありません。

國際関係でも法を犯した場合の制裁がありませんので 

基本的に國家間の力関係で揉め事は決まります。

一応話し合いで決着をつけようとするのですが、

それでも決着がつかない場合は

戦争でカタをつけるということになる訳です。

これがアフガン流というかアラブ流のカタの付け方になります。

ヤクザ風にいうと落とし前をつけるというやつです。

整理しますと 

揉め事の解決には 法を犯した場合の制裁措置が無いために 

お互いの交渉で落とし前をつけて手打ちにする、という訳です。

「法の下の平等」が成立するためには 

きちんとした國家が成立していて、

三権が分立し、

國家の「司法」が正常に機能しているという事ですね。

    令和3年8月25日

81-31  アフガニスタン

今回はちょっと趣を変えて

アフガニスタン問題を考えてみます。

先日 アフガニスタンの首都カブールが

タリバンに完全制圧されました。

米國のアフガン政策は2001年の占領から20年で

水泡に帰しました。

この問題を考えてみます。

2001年のアフガン侵攻の時 

作家の曾野綾子さんが産経新聞のコラムに

米國のアフガン侵攻は失敗するだろうと書いていました。

曾野さんはその理由として 

ブッシュ大統領と米國の首脳はアラブのことを

何も分かっていないから、と言っていました。

アラブ諸國は國家というより 

イスラム教と部族の寄せ集めにすぎないのだから、

というわけです。

近代國家では「法の下の平等」を第一にしますが 

アラブ諸國は というより

大多数の國では「法の下の平等」が第一ではないのです。

アラブ諸國ではイスラム教が第一なのです。

「メンツ」を重んじ、「義理人情」を大切にします。

これを説明します。

源頼朝の實質主義、不文律の慣例主義をもとに成文化したものが

鎌倉幕府第三代執権北条泰時の「御成敗式目(貞永式目)」であります。

これは當時の武士達が納得できる「道理」を主に作られていました。

武士は「メンツ」と「義理人情」をとても大切にしていまして

これは明治維新の時まで続きます。

明治になって近代法が欧米から入ってきても

日本人の行動原理は「道理」と「メンツ」と「義理人情」が元になり、

その上に「法の下の平等」が乗っかってるという訳です。

アラブの人の行動原理は「イスラム」と「メンツ」と「義理人情」

我が國では「神道」と「メンツ」と「義理人情」。

よく似ていますね。

これがアラブの人が親日的である理由でもあります。

自衛隊がイラクのサマーワに派遣されてた時

現地の人と友好関係を築けてたのも

行動原理が似てたからでもあります。

これから見ると「法の下の平等」は

ちょっと冷たすぎて人情味に乏しいと感じるのは

私だけでしょうか?

                令和3年8月18日

81-30 運動を変える

ここしばらく稽古をしていません。

體調がスッキリしないのと 思うところがあって

稽古を控えています。

今までは身體を使う運動をしていたのですが

どうやら新しいステージに入ったようです。

身體を動かすのは意識を動かすためです。

今までは意識で身体を動かしていましたが

これからは 身體を動かすのは

意識を動かすのを 體の動きを見ることで

外から確認するためです。

このことは分かりにくいかもしれませんね。

同じことのように見えるかもしれませんが

全然別のレベルです。

レベルアップしています。

ではまた。

            令和3年8月12日

81-29 按の練習台

按を身につけるための練習台です。

武道の技は實際に人に試してみないと

効き目の程がよくわからないものです。

私のところでは 人體に試してその効果の程を

確かめるようにしてます。

ただ、危険なやり方では體がいくつあっても足りませんから

取り敢えず ふっ跳ばして確かめてます。

體の真横からの按では上手く出来ない人が多いので

このように上腕部に角度を付けることで

やりやすくしています。

強い按を發する稽古をしたい時は

左右の歩幅を大きくしてもらうといいです。

              令和3年8月4日