武道を学んでいると
色々と考えさせられることがあります。
それは どうしてもっとスンナリ覚えられ何のだろう?
なぜ もっと簡単に身に付かないのだろう?と言うことです。
これは体験したことがないものはわからない、
と言うことなのですね。
別の言い方をすれば認識に厚みがない、とか 深みがない、
と言うことになります。
現代では實際に体験することなく
ネット上での知識だけで済まされています。
と言うことは視覚からの刺激だけで
脳が記憶してしまうのです。
當然 その知識は薄っぺらな、
表面的なものだけになってしまいます。
手で触ったこともなく、
實物の大きさもわからず、
その利用法も画一的で、
そのものを眼の前にしても
脳が何の反応も示さない
無感動人間に成り下がってしまうのです。
例を挙げてみます。
杉の木です。
現代では杉=花粉症
としてしか反応しない人が多いのではないでしょうか。
しかしこれではあまりに悲し過ぎます。
杉の木に触れ、
杉の木の元で遊び、
杉を利用してみることです。
杉の葉はよく燃えます。
焚き付けになります。
火を起こす時 マッチの火を杉の枯葉に着けると
よく燃えます。
火を起こすのが大変だった時
これは大変重要なことでした。
またその幹は製材して板や柱として重用されました。
杉の幹の皮は剥がして
乾かして屋根を葺くのに利用されました。
私の子供時代は、こんな家でした。
杉の林に入ると杉の葉独特の香りがします。
緑の深い、ちょっとヤニ臭い、私の好きないい香りです。
5月の天気のいい朝、
杉の葉に露が降りて たくさんの水滴に
お日様がキラキラと反射しているのは
宝石を散りばめているようでした。
と、まあこのような体験があると
杉=花粉症 とはならず、
杉に否定的なイメージを抱くこともないでしょう。
剣の稽古でも
私の若い頃は剣などは日本中のどこにも売ってませんでしたから
それで杉や檜の板を買ってきて
各自が削って作るしかありませんでした。
するとそれぞれに個性があります。
上手い人、拙い人、荒い人、細かい人
大きく作る人、小さく作る人
などです。
また杉と檜でも微妙に雰囲気が異なります。
同じものは二つとありません。
その剣で套路を学ぶのです。
當然自分の作った剣には愛着があります。
その剣で覚えた套路にもそれぞれの思い入れがあります。
味わい深いその人独特の套路の出来上がりです。
こうして身に着けたものは終生忘れません。
この話を聞かれたら早速剣を自作されることを
お勧めします。
自分の思い入れのある剣で学ぶのと
ネットで購入した剣で学ぶのと
その差に驚かれることでしょう。
今度の日曜日はいつも通りです。
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