79-18 三拳合一(H31.3.30)

三拳合一とは八卦掌、形意拳、太極拳の三拳が

同一の原理で説明できると言うことから

三つの拳法は同根、同一の拳法だ、と言うものです。

 

だから、三つの拳法を一緒にやったほうがいいのでは、

と言われて来ました。

孫禄堂老師あたりが言い出したようです。

 

ただ元々は別の拳法です。

 

私も三つの拳法を教えられて稽古して来ましたが、

あまり深く考えもせず、そんなものかな、

と思った程度でした。

 

それが八卦掌の円歩式を研究してるうちに

もしかしてこのようなことを言われたのか、

と新たな発見がありました。

 

私のところでは八卦掌の円歩式は円の中心に背を向けて

歩きます。

その時 腰は斜めにして歩きます。

ここがポイントです。

腰を斜めにする、つまり半身にするのです。

こうすると歩く時に腰の幅を歩幅にプラス出来ます。

特に正対の時に歩幅が大きくなります。

 

歩く時の注意点としては

背中を前に引っ張るようにし、

腹は後ろに残すようにします。

腹は円の外側に、背中は円の内側になります。

こうすると全身の螺旋がうまく使えます。

 

前脚は外旋し、後脚は内旋させます。

また内側の腕は背中から内から外に捻り、肘を中に捻り入れ、

外側の腕は脇を張り外から内向きに捻ります。

体全体を前から見ると

左右に薄くなります。

 

この状態で太極拳の単鞭をすると

按勢が凄く効きます。

 

形意拳の劈拳をやると

一打ちで相手が弾かれたように跳んでくれます。

 

このことによって八卦掌の稽古で作った腰は

形意拳や太極拳でも使えることが証明されたわけです。

 

 

79-17 定義付け(H31.3.23)

定義付けとは

ある事物や用語の意味内容をこう言うものであると

はっきり説明すること(出典.新明解国語辞典)です。

 

この場合 その該当する事物の性質を

本質レベルまで深く掘り下げて解明していないと

定義付けは出来ないのです。

 

この本質というものは

そのものの特徴となっていて

それ抜きにはその存在が考えられないか、

あるいは存在できない性質、要素(出典.新明解国語辞典)のことです。

建物でいうと壁では無く基本的な骨組みや柱になります。

 

では八卦掌はというと

その本質は武技を使った格闘術であります。

別の言い方をすると護身のための術です。

この場合の護身術とは『命を守る』『我が身を守る』ということです。

この場合、相手は素手のみならず

あらゆる武器を使ってくることが想定されますが

我々のレベルでは素手から棍、刃物までをその範囲とします。

 

離れて戦うより接近して戦うことの有利さを生かして接近戦を多用します。

 

これは離れて戦う戦い方はその方法が研究し尽くされてるのに対し

接近して戦う方法はまだ未知の分野が多くあるからです。

 

その接近しての戦闘法は大きく2つあります。

① 突きや蹴りなどの當て身技を多用するもの

② 投げや締め技、関節技を多用するもの。です。

 

この中で當て身技を主とするものを説明しますと

相手の動きを誘導し崩すものとして、太極拳。

 

距離(間合い)が近いのを補うために

回転して距離を確保し當て身を行ったり

崩したりする、八卦掌。

 

接近して密着したら、すかさず寸勁などの衝撃を与える、形意拳。

に分けられます。

 

つまり八卦掌の定義は

危機的状況に陥った時

すかさず密着して相手を制し

回転(転身)を利用して

當て身、崩し、投げたりする武術である

と言うことになります。

 

明日の稽古はいつも通りです。

 

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79.16 太陽太陰暦(H31.3.16)

小話を一つ。

私は子供の頃から自分の誕生日が不明でした。

両親からいつも「お前の誕生日は戸籍とは違う」

と言われ続けてました。

 

一応戸籍には誕生日は記載されてます。

それなら「いつが自分の誕生日なのか?」

と聞いても 答えは「知らん」。

 

まあいい加減な親でしたね。

干支は「辰?」だそうです。

 

まあその頃生まれたんだろうと言うことでしょうね。

それでも気になっていろいろ調べてみました。

 

氣功や太極拳、八卦掌、形意拳をやると

否応なしに陰陽や五行、易なんてのが

出てきますしね。

 

そこで星占いとか四柱推命とか九星とかみてみると

微妙にズレてるんです。

当たる人は当たってるんですけどねえ。

 

子供の頃 我が家ではお正月を旧正月で祝ってたように思います。

それで旧暦で自分の誕生日を調べてみました。

戸籍の誕生日を旧暦に換算してみました。

しかしこれでもはっきりしませんでした。

 

と言うのも

母から私が生まれた時のことを聞いていたのですが

私の誕生日前、雪が降っていて、

滑って転んで その晩産気づいて

翌未明に生まれたらしいのです。

熊本県人吉市の気象台に問い合わせてその頃の積雪状況を

問い合わました。

しかしながらその頃 年末から年始にかけて

積雪は無かったそうです。

 

それがある時テレビを見ていると

忠臣蔵をやってました。

 

ふと閃きました。

忠臣蔵は旧暦12月14日が討ち入り、

しかしテレビでは年末にしてるし

赤穂市の義士祭でも年末にパレードをしてる、

新暦では翌年の1月30日のはずなのに。

 

これで解けました。

 

そういえば歴史上の事件でも

明治以前のは全て旧暦です。

しかし旧暦との断りなしに

新暦に置き換えて説明してるものが多いですね。

 

私の場合でもほんとは旧暦の生まれなのを

新暦に換算せずにそのまま届けてるんです。

 

そのころの田舎のことですから

出生届が少々遅れても御構い無しだったのでしょう。

 

また干支が「辰」なのは

多分いい加減に考えて

呑気に春分から干支が代わると思ってたのではないのか。

まあ長男が産まれたと

嬉しくて一杯も二杯も引っ掛けて遅れてた可能性は大です。

 

めんどくさいことは気にしない、気にしない。

 

一応ウチの親父のために言い訳しますが

ウチの田舎では農作業の為かなり遅くまで

旧暦、太陽太陰暦が使われてました。

それが新暦に切り替わるのが昭和30年前後と思います。

その切り替えの混乱でついウッカリ間違えた可能性はあります。

正月は昭和36年ごろまで旧暦でやってたように思います。

 

私の誕生月は戸籍上は1月ですが

実際は3月に入ってたみたいです。

おしまい。

 

明日の稽古はいつも通りです。

小雨に対応できるようにして来て下さい。

 

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79-15 言語が完成してると言う事(H31.3.9)

 

日本語は母音と子音が一体となって発音する完全音です。

濁音とか半濁音のような言葉もありましたが

元々の言葉にはなかったようです。

更に外國から入ってきた言葉でも

我が𡈁の言葉に置き換えられてます。

例えば

山 サン→やま

川 セン→かわ

空 クウ→そら 等。

また翻訳できない言葉はカタカナで表すようにして

使用しています。

遥か昔から外國の言葉や概念も我が𡈁の言葉に置き換えられて

使われてましたので

難解な哲学的、学術的で論理的な思考でも自𡈁語で

読み書き出来ますし

内容を理解するのにさほど不便を感じなかったのです。

 

(隋、唐の時代から先進的な学問や仏教などの宗教

また律、令などの社会的な制度など諸々のものを

我々の先人たちは苦労して我が𡈁のものとしていました。)

 

これが明治時代になって欧米列強の学問や制度、

法律、税制や資本主義経済的な概念などを

輸入して咀嚼し我が𡈁のものとすることができた

大きな理由でもあると思うのです。

 

これがどれくらい有り難いことなのか

我々にはなかなか判りません。

 

お隣の半島國家や大陸國家では

そのような経験がありませんでしたから

結局 我が𡈁のものをそのまま取り入れるしか

なかったのです。

と言うのも以前は自國のものでよかったから

その必要がなかったのです。

 

哲学的、学術的な概念や言語を自國の言葉に

置き換えられなかった人々はどうしたのでしょうか?

 

それらの國々や地域の人々は仕方なしに

その外國の言葉をそのまま使うしかなかったのです。

それも単語を使うでけではなくて

と言うのは自國語とその単語とがチグハグで

うまく咬合わなかったのです。

それならいっそのこと外國の言葉をそのまま取り入れてしまえ、

となったのです。

20世紀前半までは世界中は欧米列強の植民地でした。

今でも旧植民地の國々で旧宗主國の言葉が通用するのは

そうした理由が裏にはあるのです。

 

 

言語体系が完成途上の國では

自國語の不足を補う為に外國の言葉を

そのまま取り入れて使うしかないのが現状です。

 

幸い我𡈁では2000年以上も前に言語体系が完成しており

1500年くらい前には漢字を使用し始め。

1200年ほど前にはカタカナ、ひらがなも完成して

使用しておりました。

このことが我が𡈁が植民地にされるのを

免れた大きな理由の一つではないかと

思っております。

 

明日の稽古は大阪城公園の代わりに

都島で行います。

 

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79.14 言葉(H31.3.2)

まず明日の予定です。

明日は通常通りです。

 

最近キレる子供や大人が多くなってきています。

モンスタークレーマーなどと言うものすごいものもあったりします。

 

この根本には語彙の少なさを始めとして

読解力が弱くなってきて

国語能力が落ちてきてるように思われます。

更に本を読まなくなったと言う事もあります。

 

インターネットで十分と言う人もいるかもしれませんが

インターネットは本の代わりにはなりません。

さらに小学生とか幼稚園くらいからの英語教育、

母国語が不完全なうちからの外国語教育は

著しく母国語の習得を妨げます。

 

それは細やかな感情表現や言い回しが困難になる事につながります。

 

テレビで俳句を扱ったものがありますが

あれを見てると国語力の大切さがよくわかります。

 

文字の表現を変えたり、

省略したり、

言葉の順序を変えたりする事で

言いたいことがはっきりしてきます。

 

更には全く別の意味になったり、

同じ内容でも感情の表現が豊かになります。

 

国語力が増すと言う事ですね。

 

俳句って素晴らしいですね。

 

日本語って素晴いいなあ。

 

ではあのような感情表現ができないとどうなるのでしょう。

 

相手に自分の言いたいことが伝わらなくてイライラする、

自分の心の中のものが不完全にしか表現できなくて

気持ちの整理がつかない、

だから大声で喚きたい、

するとカラオケや飲酒で発散、となるわけですけど

それでもうまく感情表現ができなかったり

溜まってるものを発散できないと

暴発、となるわけです。

これが、この暴発が他人へ絡んだり、

嫌がらせをしたり、

モンスタークレーマーになったりするわけです。

ファビよると言うのもそうですね。

理不尽な他人への要求もそう、

自分の要求が受け入れられないと途端に爆発、となるわけです。

 

そのためには豊かな国語力を身につけることに尽きると思います。