No.8 腰を考える(H29.12.28)

これは拳法の土台論なのですが

「腰とはなんぞや?」と問い続けることで

腰を無視した稽古などできなくなってきます。

 

足腰という言葉がいみじくも知らしめすように

腰ができると脚も強くなって来るものです。

 

ただこれは私の場合でも三十年ほどかかってますから

普通、余程の研究熱心な人でもない限り

解明は難しいでしょう。

 

それ程 現在では「腰」、というのは死語になっています。

 

実際に腰を使うことができる人は稀ですからね。

 

相撲の稽古で土俵の周りをすり足で回るのがあります。

脇を締め、掌は張り出すようにして回ってます。

 

あの時腰は正対してるようですが

本当は半身で回ると良いのですよ。

腰を創る稽古です。

この稽古で相撲取りはウサギ跳びをしなくて良くなります。

 

腰が出来ると、立会いでカチ上げとか、

張り手を喰らわなくなります。

まともにぶつからないと怪我をするくらい

鋭い立会いになってきますから。

 

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No.7 習得の順序(H29.12.19)

これは論理の話になりますが

拳法を習得する場合、

どのような過程を経て身につくのか?

意外とわかってないようです。

 

私は以前、自分は何がわかってないのか?

何が知りたいのか?

ということを真剣に悩んだ時期があり

色々な分野を探求したことがありました。

 

太極拳の特性から力を使わない、ということで

まず超能力、宗教、精神世界、スピリチュアル、

ヨガ、断食、水垢離、などなどです。

 

そして最後に南郷継正氏の哲学と認識の論理に至って

やっと自分の求めていたことがわかりました。

三〇年近くかかっています。

 

おかげでそのあとは樂でした。

まず土台の論理から土台を強化すること、

次が武技の強化、威力の向上です。

触っただけで跳ぶということから

実際に触っただけで跳べるようにします。

氣功もこの時習得できます。

それからこの武技を実際に使う。

具体的には約束組手ですね。

それと間合いの習得です。

運足も必要になります。

 

この間合いと運足は

約束組手を実際に考えるようになって

現実に必要性を感じるようになります。

 

この場合も後になってから

武技の威力を向上させるのに

間合いは、とても重要なんだと気がつきました。

 

自由組手は武技の威力が向上するに従って

やらなくなります。

 

理由は危険だからです。

 

自由組手をしても危険じゃないのなら

武技が一撃必殺のレベルに出来上がってないのです。

 

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No.6 修上の修 (H29.12.12)

「修上の修」という言葉は道元禅師の正法眼蔵という

書物に出てきます。

 

この間バックスピンの稽古をしましたら

やっぱりと言うか

当たり前と言うか

できなかったのですね。

それで この言葉を思い出しました。

 

我々は 何か新しいことを覚えたら、

それでもう身につけた気になりますが、

覚えると言うことと、

身につけて自由に扱えると言うこととは

別のカテゴリーになります。

武道の場合、これの統一されたものが

得意技、となるのです。

 

ですから我々は新しい技を覚えたら

次にはその技の使い方を身につけなければ

ならないのです。

そのためにも覚えてからの反復練習が重要になってきます。

 

時にはそのために10年単位の修行が必要となります

 

道元禅師の言葉を借りるなら

悟りを開いてからの、さらなる修行です。

悟ったらおしまい、ではないのです。

悟後の修行というやつですね。

武道は生涯の修行だ、と言われる所以です。

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No.5 ユックリズム(H29.12.4)

今 日本刀(模造刀です)で遊んでます。

映画みたいに格好良く抜こうとしても

中々抜けるものでは有りませんなあ。

 

そこで色々工夫をしてみました。

まず 右手だけで抜いてるのではないということ、

体捌きもですが、

左手で鞘を引きながら、というのが大事みたいです。

ただ それでも抜くときに鞘に引っかかります。

 

それで ゆっくり丁寧に抜くことを心掛けてます。

腰を沈めながら、

鞘を引き、

刀身が鞘の内側に当たらないように

抜ききります。

ここで 太極拳のゆっくりする練習が

役に立ちます。

思わぬところでもうけものをした気分です。

 

他の早い稽古をするときでも

ここの呼吸が肝心なのですな。