八十の二十五  八卦掌の稽古

まず八卦掌の特徴である掌の形を覚えます。

竜爪掌といいます。

竜が掌で珠を掴んだような特殊な形をしています。

この形創るのが難しいらしく 皆 苦労してます。

コツは掌だけで、竜爪掌を創るのではなくて 

肩から臂、手首などを使い、

さらに 肩甲骨も動かして 

腕全體を連動させて創ってみて下さい。

次は大事な歩き方です。

八卦掌は円周上を歩きますが これを円歩式と言います。

ただその前にやることがあります。

足の爪先を内側に向けることを扣歩といい、

外側に向けるのを擺歩と言いますが

この扣歩、擺歩の稽古に三角形の一辺を

停歩しながら歩きます

三十秒ほどジッとしてます。

これは八卦掌の站樁になります。

概ね左回りと右回りで十回づつやります。

さらに正方形の一辺を歩きます。

これは停止なしで連続して回ります。

これをやってから、

それから円歩式です。

脚先を突き出すようにして円周上を歩きます。

八卦掌といったら

この円歩式だと言われるくらいですね。

一周八歩くらいから始めます。

腕を振らず、腰を上下させないようにして歩きます。

足裏は地面と平行に上げて平行に下ろします。

これを平起平落と言います。

或いは起平落扣とも言います。

このような歩き方を趟泥歩と言いますが

吾が國武道でいう摺り足です。

ただしこれは實際には摺るというより

地面スレスレを滑空させるように歩くのが良いと思います。

                   令和二年六月二十六日

八十の二十四 站樁のときの馬歩の歩幅  

站樁の時の足の位置で

功を積めるか否かが決まってしまいます。

自分に合った歩幅がわかったら

メモをして控えておいてください。

この馬歩の場合、

足の内側のラインが平行になるようにして立ちます。

一方 空手の騎馬立ちでは足の外側のラインが

平行になるようにして立ちます。

このことをあまり疑問にも思わなかったのですが、

空手の騎馬立ち風に

足の外側を並行にして站樁をやってみたら

これがいいんですね。

という訳で私の所でも 

站樁のときは足の外側のラインを平行にしてやるように

変えます。

この站樁なのですけど 

私が太極拳を始めたての頃、もう半世紀ほど前のことなのですが

こんなハナシを師匠がしてくれました。

「昔ある人が太極拳を習ってたが 

いつまで経っても站樁しか教えてくれなかった。

来る日も来る日も

站樁の細かな修正ばかり。

とうとう嫌になって逃げ出したそうです。

ところが途中で追い剥ぎに出会って

身ぐるみ剥がされそうになったのだそうです。

その時咄嗟に出たのが站樁の抱玉式。

相手は血を吐いて倒れたとか。

その時 なぜ師匠があれほど粘り強く站樁を教えたのか覚ったそうです。

慌てて師匠の元に取って返し、

さらに数年修業を積んで大成したそうです。」

この話を聞いた私はしめしめ、これはいいことを聞いた、

これで強くなれる とばかり修業したのですが 

なぜか強くなれませんでした。

何故なのかは

長いことわかりませんでした。

それがやっとこの間 これなら間違いないと解ったのが

歩幅と重心の位置関係なのです。

站樁の時 歩幅と重心の位置さえ正確なら

確かに両手を突き出すだけで相手を突き跳ばせます。

よろしく修業に励んでください。

     令和二年六月二十日

八十の二十三    歩幅

土台のことです。

通常 正拳や手刀、猿臂など上体のことには

興味を持つのですが、

それを支える下半身の事については 

殆ど関心がないように見受けられます。

まあよく解らないというのもあるかもしれませんけど。

せいぜいしっかりしてたら良い、という

くらいのものです。

余談ですが野球などのプロスポーツ界や

相撲、柔道などの格闘技界ですらも

下半身を徹底的に鍛え上げてる人は

ほんの一握りのようです。

話を戻します。

一応 私のところでは 肩幅を基準としてます。

太極拳の馬歩は  肩幅の〇・九倍

弓歩では     肩幅の一・四倍

形意拳の三体式では肩幅の一・一倍 とします。

なお體格により多少変動します。

では次に重心の位置です。

馬歩の場合  カカトの前、土踏まずの後ろ半分に

重心を墜とします。

弓歩の場合  前脚に八割、後脚に二割 體重をかけます。

三体式の場合 前脚に三割、後脚に七割 體重を掛けます。

歩幅と重心の位置を正確に取れば

技の効き目が格段に良くなるはずです。

  令和二年六月十三日 

八十の二十二  素振り

この動画は遊び稽古の一つとして楽しんでください。

これはちょっと場違いみたいに思われるかもしれませんが 

實際に振ってみると 中々思う様には振れないものです。

動画のように 軽く力を入れずに振っても

早く振れるのはなぜかと言いますと

手首の振りを極力しない、

所謂 スナップを使わないようにしてるからなのです。

なぜスナップを使うのがまずいのかというと 

スナップを使うと 

動きが二段階の動きになり遅くなるのです。

一方、スナップを使わない振りでは 

一調子ですから二調子の動きより一つ少なくてすみますから

その分早くなるという訳です。

この稽古の意味は動きの質を高めるためのものということです。

正拳突きの場合でも、

強く突こうとして體幹を前に押し出して 

その為に突きが遅くなっているのを勘違いして

腕力を鍛える筋トレをしているのを見受けます。

努力の方向が間違っているのではないのか、

と思いますね。

寸勁もこのような動きの質を高めることで 

容易に身につけられます。

筋力ではなくて意念で拳を突き出します。

この時 意念を一旦、下腹部の丹田に墜として

圧縮してその反発力を利用すると良いと思います。

         令和二年六月四日

八十の二十一 砂糖の味は・・・・

八卦掌や太極拳の場合、空手や長拳と違って 

稽古がゆるやかな動きにしか見えませんから、

部外者はもとより

稽古をしている當の本人でさえも

これで本當に役に立つのか

疑問に思ってる人はいますよね

その疑問は至極まっとうだと思います。

私も三十年ほど解らなくて不安でした。

氣とはなんぞや

という一番肝腎なところが抜けているのです。

喩えが適當かどうか分かりませんが

「料理に砂糖を使え」と言われても、

砂糖という言葉は知っていても

砂糖を見たこともなく触ったことも、

味も分からないのでは 

いったいどの様にしていいものやらわかりませんよね。

だいたい何の為に砂糖って使うの、

ということですね。

ですから武技で「氣を使います」と言われても

「氣」が解らないのでは 

その武技が氣を使っているのか、

使っていないのか不明ですよね。

同じ様に見える突きにしても 

氣を使っている時と、

使っていない時とどう違うのか、

あるいは違わないのか、

違うのならどう違うのか、

違わないのならなぜ違わないのか、

それなら氣と力の間にはどんな関係があるのか等々、

みんなが抱く疑問は山ほど出て来ると思います。

今までは解決の緒すら見つからなかったので、

「健康法」だとか「スポーツ」だとか

マカ不思議なものだということで

お茶を濁しているのが實状です。

八卦掌や太極拳、形意拳などはもちろん、

吾が國の武術でも氣を使うものはありますが 

どうしたら氣を感じられるのか、

どの様にして氣を強化できるのか、

自在に氣を操るのにはどの様にするのか、

のメソッドは無いに等しいのです。

私は「氣」の理解には

風水を学ぶのが一番手っ取り早いと思います。

風水の理解があれば陰陽とか

五行とか易とかも理解できますから、

まあ何とか出来るのではないかと思います

 

何となく砂糖の味もわかろうというものです。

   令和二年五月二十九日

八十の二十 立てば芍薬

この写真はウチの庭のシャクヤクです。

なかなかのものですな。

さて八卦掌では身體から練り上げますが

呼吸と合わせて「練」から「錬」へと質を向上させていきます。

円歩式も一つの單円式から

二つの雙円式へと。

これは「∞」のように歩きます。

これで練りの質が格段に向上します。

それから三つの円で。クローバーの様式です。

ダブルで行いますから

ダブルクローバーリーフに向上させます。

文章での説明は難しいので省略します。

さらに五つ、七つ、最後に九つとなりますが

それぞれ五つは梅花、七つは七星、九つは九星ですね。

説明は面倒ですので省略。

     

おまけです。

九星の順番は 河図洛書から借用しました。

「にくしと思えば、七五三、六いち坊主にハチがさす」

詳しくはウチの教室で直接教えます。

          令和二年五月二十三日

80-19 掌打の修得法

次の動画は實際の掌打の修得のやり方です。

一、まず肘を軽く伸ばし、手首を肩の高さまであげます。

  指先は脱力して置きます。

  この状態で二度ほど呼吸します。

二、次に肘を直角に曲げね静止、呼吸を二回する。

三、肘を墜とします。

  その時 肘を軽く伸ばしながら手首も伸ばします。

  指先から肘まで一直線にします。

  ここで静止、呼吸を二回する。

四、肘をさらに墜とし 掌の下、

  掌底を墜とし突き出すようにします。

  その時 掌のひらは丸く窪ませるようにします。

  ここで静止、呼吸を二回します。

五、ゆっくり脱力しながら 下に降ろします。

  なお 静止して呼吸を二度するのは 

  型の軌跡を正確に覚え込ませるためです。

六、慣れたら一から五までの型の軌跡をなぞりながら

  一筆書きみたいに動かしてみます。

七、それができたら實際に人に試してみます。

八、これが充分出来るようになったら、

  四の時 掌底付近にある労宮というツボを意識してみます。

  掌のひらの労宮のツボを押し付けるようにして

  按出します。

  労宮から氣が出て行く感じが掴めると思います。

という訳で労宮から出る「氣で打つ」のが

太極拳の按勢だという訳です。

        

             令和二年五月十五日

80-18  練功法とは氣を溜めること

私のところでは氣とはエネルギーのことであると

定義付けております。

異論があることは承知しておりますが 

私のところでは一応そういうことにしております。

そのエネルギーを蓄える方法として

筋骨を鍛えてエネルギーを発生させるやり方と、

意念と呼吸を使ってエネルギーを発生させるやり方が

あるようです。

これは動作に呼吸を合わせながら意念を誘導して

エネルギーを発生させると言ってもいいでしょう。

また 意念をツボに誘導させると

もっと大きなエネルギーを発生させられるようです。

ここらへんは私も初歩的なレベルでしか理解していませんので

これくらいにして置きます。

      令和二年五月九日

80-17  練功法はなぜ必要か

拳法では功を積むとか、功が深いとか言います。

この「功」と言う概念が吾が國にはありませんので

その意味を正確に理解することはかなり難しいですね。

通常は功ではなく功夫を積むとか、

功夫が深いとか言います。

功夫はクンフーとかカンフーとか読みます。

そのクンフーを積むことを練功法という訳です。

さてこの練功法というやつですが 

これは實際に拳法を護身に使わなければ必要ないでしょうね。

例えば太極拳の單鞭の型で相手を打ち倒そうとします。

ゆっくりやっても効きませんし、

速くやっても、

力を込めてやっても効き目はないでしょう。

普通の太極拳教室では「こうやって使います。」でおしまいです。

何せ使おうとも思ってないし、

使えるとも思ってないのですからのですからね。

まあ無理もありませんけど。

しかしクンフーが深いと單鞭は恐ろしい効果を発揮します。

よくて肺湿潤、

下手をすると内臓破裂を引き起こします。

功は錬るのと積むのとではその性が微妙に違います。

また 功が深いとか浅いとか言います。

高いとは言わないようですね。

さらに筋骨を鍛えて

体の外側から功を積んでいくものを外功と言い、

意念と呼吸を伴った動きで

體の内面から功を深めていく内功があります。

形意拳では功を積む感じがしますし、

八卦掌では功を錬るような動きが多いですね。

太極拳はどちらの感じもあるからその中間くらいかな。

單なる健康法や舞踊体操に錬功法が必要ないのを

登山に例えて説明してみます。

ハイキングや百メートルくらいの山を登るのに

登山準備は不要ですが

三千メートル級の山に登るのに準備無しでは無理ですね。

ましてやこれが八千メートル級のヒマラヤとなると

高地馴致にかなり時間がかかります。

高い山に登るのには體を馴らし

作り変えていかねばなりません。

この體を馴らし作り変えていくレッスンに相当するのが

錬功法という訳です。

という訳で練功法で功が深くなった人の打撃は

かなり危険なモノになってるのです。

外功法はまだ取り付きやすいのですが

内功法は普通の人には雲を掴むようなものでしょうね。

  令和二年四月三十日

80-16   ゆるめる

八卦掌の円歩式は我が国でいうところの

いわゆる摺り足で歩くのですが

踵を浮かして歩くと 膝に負担がかかることがあります。

そこで膝を抜くように歩くことを思いつきました。

膝を緩めると身體を柔らかく動かすことができます。

さらにこれは身軽に動けるということでもあります。

八卦掌の円歩式でずっと踵を浮かして歩くのは

結構大変なのですが 

これはそのうち慣れてもらうしかありませんね。

身軽に動くというのは軽身功の稽古になります。

また撓やかで身をくねらせる動きも上達します。

相手の體に巻きついて崩したり、

弾き跳ばすこともできます。

関節技も上達しますね。

まあいいことづくめなのですが

身につけるのに時間が掛かるのが難点ですかね。

あとこれはヨガでもそうなのですが

体質的に向き不向きがあります。

力を使わないシンクロなどの體術、

氣功など体質的に向き不向きがあるのです。

初歩的なことでも受け付けないことがあります。

本人の努力でもどうすることも出来ないことなので

早めに見切りをつけることが望ましいですね。

   令和二年四月二十五日